「駒落ち定跡」の説明には注意が必要

今回は少し視点を変えて記事を書いてみたい。

このブログでは、いわゆる「駒落ち定跡」を使わずに、駒落ちを解説することを目標としている。
駒落ち定跡」は、初心者が学びの題材とするぶんには大変有益であるが、教える側が「駒落ち定跡」に頼りきりになると危険な面があるのだ。
今回は「駒落ち定跡」を使って解説を行なう場合に陥ってしまいがちな「悪い解説」を見ていく。
若干悪趣味のような気がしないでもないが、私の将棋観を述べるための前置きとして必要なことなので、ご容赦いただきたい。

手合割:十枚落ち

△4二玉    ▲7六歩    △5四歩(1図)
▲2六歩    △6四歩    ▲2五歩
△3二玉(2図)
▲2六飛    △7四歩    ▲3六飛    △4二玉    ▲3三角成
△5二玉    ▲4六飛    △6二玉    ▲4三飛成  △7二玉    ▲5一馬
△8一玉    ▲8三龍    △7一玉    ▲7三馬    △6一玉    ▲7二龍
まで24手で下手の勝ち

今回の棋譜は1995年に出版された入門書『中原の将棋を始める人のために』から引用した。
書籍中で「定跡」と明言されているわけではないが、これは最も有名な十枚落ち定跡の手順そのものである。

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1図に対して、書籍本文で為されている解説は下記のとおり。

“下手は角を成ろうと思えば、▲6六角と出て、次に▲9三角成とできます。しかしこれは一番端のところに成るだけで、上手の玉を取りにいくには手間がかかります。それより、ここは▲2六歩と飛車の通り道を開けながら、上手の玉に迫っていく方が、早い勝ち方になります。”

▲6六角△6四歩▲9三角成(A図)のような攻め方より▲2六歩がまさると説明している。

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一見もっともらしく書かれているが、この説明には大いに問題がある。
まず第一の問題は、▲6六角は決して悪い手ではないということだ。
▲6六角~▲9三角成は角を成るという目的を最速で実現できる手順であり、十分合理的な理由を見出すことができる。
その手を否定的な論調で解説してしまってはいけない。

第二に「手間がかかる」という理由そのものが誤っている。
私が検討した限り、▲6六角~▲9三角成の攻め方でも詰みまでの手数が長くなることはない。
1図から▲6六角とした進行の一例は、以下△6四歩▲9三角成(A図)△1四歩▲7一馬△8四歩▲2六歩△8五歩▲2五歩△3二玉▲5三馬△7四歩▲2六飛△6五歩▲4六飛△1五歩▲4三馬△2二玉▲3六飛△5五歩▲3三飛成△1三玉▲3二馬△1四玉▲2三龍(B図)。

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詰みまでにかかった手数は28手。
本譜の24手と比べ手数が伸びているようだが、実は本譜では上手が最善の粘りを行なっていないという事情があるため、そのままの手数を比較対象とするのは不適切である。
検討の詳細は省くが、本譜▲2六飛~▲3六飛の攻めに上手が最善の粘りで対抗した場合でも、詰みまでに要する手数は28手だった。
同じ手数なのだ。

誤った理由に基づいて、否定するべきでない指し方を否定してしまっている、非常に不適切な説明である。

※2017-06-16追記
▲2六飛~▲3六飛の攻め方で、26手で詰みとなる順を発見した。
私が行なった上記の主張も部分的に誤っていたことになる。
しかし、定跡以外をすべて「間違い」として扱おうとしている、という問題の本質は変わっていないので、記事そのものは残しておく。

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2図に対する解説は下記のとおり。

“下手が▲2六飛としないで、▲2四歩と突き進め△同歩に▲同飛と交換する手はどうでしょう。上手が△2三歩打と守ってくれれば、▲5四飛とヨコに動き、相手の歩を取りながら、玉に近づけます。ところが、上手が△2三歩打としないで、△2二歩打(C図)と防ぐ手があり、この形では、おぼえたての人は、どう指したらいいのかむずかしくなります。こうされますと、▲5四飛から▲5二飛成としても、△2三玉と逃げられます。そこで2図からは、最短距離で攻める▲2六飛がいい手になるのです。”

※当ブログでの解説に合わせて図番号を変更している。

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これも1図の解説と同種の問題をはらんでいる。
▲2四歩△同歩▲同飛は決して悪い手ではなく、むしろ▲2六飛~▲3六飛よりも「筋が良い」攻めだ。
「△2二歩の変化を与えないため」という理由づけこそ、1図の「▲6六角~▲9三角成は遅い」という理由に比べれば筋が通っているものの、この書き方では▲2四歩が必要以上に悪い手のように受けとれてしまう。
私としては「本譜は▲2六飛とする指し方を解説するが、自信がある人は▲2四歩△同歩▲同飛という指し方をするのもいいだろう」のように、両方を肯定的に解説してほしく思う。

問題のある解説を2つ見てきた。
2つの解説はどちらも、下手のある指し方が有力であるにもかかわらず、解説でそれを否定してしまっている。
このような解説が行なわれてしまったのは、ひとえに「定跡」という「正解」を定めていることに原因がある。
定跡手順を「正解」として印象付けようとするあまり、定跡から外れる手を全て「間違い」と見なしてしまっているのだ。
これが定跡に頼りきりで行なう解説の危険性である。

将棋というゲームは、たった一通りの「正解」しか持たないような息苦しいゲームではないはずだ。
▲6六角~▲9三角成としても良いし、▲2六飛~▲3六飛や▲2四歩△同歩▲同飛としても良い。
もちろん他にも有力な指し方は無数に存在する。
そういったものを切り捨てることなく、しかも論理的な正確さも保つ。
私が目標とする解説とはそのようなものだ。